私の読書日記

ゆる~い読書日記です~To the Happy Few~

丸山真男著『政治の世界 他十編』(岩波文庫)

岩波文庫から出ている丸山真男の『政治の世界 他十編』を読みました。

この中の「政治的無関心」という項目に興味があったからです。

 

解題を見ると、元々は平凡社の『政治学事典』の執筆項目として1954年に書かれたものであるということが分かります。一読して、およそ70年前に書かれたものであるにもかかわらず現代にも十分に通用する内容であることに大変驚きました。逆に言うと、政治的無関心というものは理論によって一般化できるものなのかもしれません。

 

序盤は、ラスウェルにならって政治的無関心アパシー)を「脱政治的」「無政治的」「反政治的」の3つに類型化し、3つを総称して「非政治的」とします。また、今度はリースマンにならって、その「非政治的」態度を、「伝統型」と「現代型」に分類します。ここまでは政治学の学説の紹介になっています。

 

次に、政治的無関心アパシー)を促進する条件として、

①政治機構の複雑化とその規模の国際的拡大

現代社会の官僚化・合理化傾向

そして③マスコミの代表する消費文化の役割

の3つを上げます。この③についての記述が、まるで今現在の社会情勢を描写しているかのようで読みながら大変に驚いてしまいました。少し長くなりますが一部を引用します。

 

「現代の商業ジャーナリズムやスポーツ、映画、演劇などの大衆娯楽はまた、政治的無関心を蔓延させるうえに巨大な役割を演じている。そうした機能は政治的な問題や事件を「非政治化」して大衆に伝達することによっても果たされるし、また大衆の興味と関心を直接的には非政治的な対象に集中させることによってもおこなわれる。たとえば前者についていえば、マス・コミュや大衆雑誌は一般に事件や問題を歴史的社会的文脈から切り離して事柄の本質と関係のないエピソードや附随現象を大きく扱い(trivialization)、また相関連する事象について綜合的な認識や判断を与えるかわりにこれを細切れのニュース・フラッシュや短評の形式で断片化し(fragmentalization)、あるいは政治家の紹介や描写をする場合にも、その政治的業績や政治的資質ではなしに、朝食の献立とは何々とか、行きつけの待合やナイト・クラブはどこそこといった私生活面を好んでとり上げる(privatization)。」(p.334)

 

まるで今のマスメディア論みたいです。おそらく、この文章を出典なしに載せてもだれも70年前の文章だとは思わないでしょう。こうしたマスコミの役割を通じて、私たちは政治的無関心へと引き寄せられてしまうと丸山は批判します。

 

最後は、政治的無関心アパシー)の政治的効果の記述。丸山は、アパシーは政治過程の外にとどまっている場合でもそれ自体政治的効果をもつものだとして、このように述べます。

 

アパシーはなるほど支配的な象徴にも対抗的な象徴にも積極的には結びつかないが、その現実的効果は一般的に支配層により有利である。現在の体制は「消極的」忠誠によっても惰性の力で相当の程度まで維持されるが、それを変革しようとする運動は自己の側に「積極的」に大衆を動員しないかぎり進展しないからである。積極的にリベラルでも保守的でもないということは政治的には保守的に作用せざるをえない。とくに日本のように大衆の合意(consent)よりは随順(conformity)が伝統的に天皇制支配の精神的基盤をなしてきたところではそうである。いわゆる教育や学問の政治的中立の主張が、現実には対抗首長への結びつきの否定だけを一方的に強調する結果になりやすいのもこのことと密接に関係している。」(p.336)

 

この項だけでも十分に読む価値のある本だと思いました。